2015年12月30日

思い出は生きています(Recuerdos vivo.)

とても、長い文章ですが、読者のみなさんも、喜ぶように、本当にあった夢の話を、心を込めて、です。

僕の日本でのライブ活動の積み上げが、いつか、日本のルンバとして認識されるかもしれませんし、そうでないかもしれません。

僕は何よりも、ルンバが好きなのです。

僕は今年、スペインのカタルーニャ地方にあるバルセロナに渡航しましたが、渡航するそれまでは、フランスのルンバ、とくにジプシーキングスのルンバを模倣していました。しかし、渡航する前、この渡航のきっかけになったのは、バルセロナオリンピックの閉会式でルンバを演奏していたメンバーの方が、カタルーニャのルンバ(ルンバ・カタラーナ)を、なんと日本語で演奏しておられて、僕はその動画と、たまたまYoutubeで出会ったのです。(バルセロナオリンピックのことは、渡航後に日本に帰ってから知りました。)
(元気な死人)El muerto de vibo de japones.
https://www.youtube.com/watch?v=7IUsE647OeI
http://www.rumbatarumba.com/

僕は居ても立っても居られなくなり、その人達に、フェイスブックでコンタクトを試みました。すると、友人になることが出来ました。次は、その友人に会いたくて、僕のバルセロナに行きたいという欲求は高まり、そして本当に、バルセロナに渡航することができました。(これが生まれてはじめての海外です。)

そして、バルセロナに着いたものの、右も左も分からず、言葉はMe gusta la rumba. (私はルンバが好きです)この言葉しか知らない状態でしたが、彼らは、僕のフェイスブックを見て、僕がバルセロナに着ていることを知ってくれて、そして、フェイスブックにコメントをくれたのです。「こんにちわ、義明、君はルンバを観たいのかい?」と・・・。僕は持参してきた辞書で、この言葉を翻訳して、観たい(Si!)と返信しました。すると、彼らは僕が泊まっていたホテルの場所を調べてくれて、なんと、ホテルまで迎えに来てくれたのです。
https://puchichiquito.wordpress.com/

そして待ち合わせの当日、泊まっていたホテルの一階のバルで待っていると、彼らは本当に来てくれたのです。そのときの感動は、今でも言葉になりません。そして、そのバルで、一緒にエストレージャ(星)というビールを飲んで、その後、車に乗せてもらって、連れていってもらった場所は、Rumbeta という名前の、ルンバ専門のルンバショーの為のライブハウスでした。
http://www.larumbeta.com/

そして、お店の中はお客さんでいっぱいで、僕はその中で、本場のルンバ・カタラーナを目の前に、大興奮だったのですが、なんと、突然、ステージに呼び出せれるのです。そして、彼らと一緒にステージに上がって、先に紹介した(元気な死人)El muerto de vibo de japones を歌わせてもらったのです。
http://comoestanuki.com/movie.htm

そして、このお店のオーナーから、頂いた言葉、「君に日本に家があるように、ここを、自分の家と思ってください。」忘れられません。しかし、まだ、夢は続きます。この後、カタルーニャのバル、日本で例えるなら、京都人の集まるバーに連れて行ってもらい、ここでも、(元気な死人)El muerto de vibo de japones をお客さんと合唱、お客さんのほとんどが、ギターを持っておられました。(それは、日本ではありえない光景で、また、僕が望んでいる光景でした。) ここで食べたカタラン寿司の味を忘れません。

話の時系列が前後しますが、このあと、メンバーの一人のラモンさんと、とことん地元のライブハウス!に連れて行ってもらいました。、なんとその翌々日、僕は一人で、そのお店にライブを観に行きました。(僕だけ、チョー浮いていました。でも、お客さんも店員さんも、みんな優しかった。)
https://gipsylou.wordpress.com/


まだまだ、夢は続きます。次の日、彼らは、ぜったい観光客は行かないだろう、そのような場所に連れて行ってくれました。そこのバルで食べた、ボカディージョ スペインのサンドイッチや、パタタ デ アリオリ(ポテトのアリオリソース)ときたら、最高に美味しかったです。そして、バルセロナの中心部で食べたそれよりも、すごいボリュームでした。
まだまだまだ、夢は続きます。最高の食事を終えた後、そのバルを出て、ビルに連れて行かれました。そして、扉を開けると、そこはスタジオでした。そして、彼らは持っていた楽器を出すと、演奏(ライブ)してくれたのです。(実は、それまで彼らが楽器を持っていることさえ、気づきませんでした。)ライブは1時間くらい、彼らは汗まみれで演奏してくれました。観客は僕一人です!!!

もう、ノリノリ×αです。

さて、ここからの話は、今の僕について、大きく触れることになります。
僕もギターを日本から持っていったのですが、一緒に弾くことができなかった。ならば!と思い、手拍子で参加しようとしても、参加できない。ベースのフェリックさんには、優しく怒られる始末。それはなぜか?リズムが合わないのです。弾き方も、僕が日本で覚えたそれと違うのです。でも、僕は、彼らの楽曲は日本で予習していましたし、また、こんな話を彼らとしました。

「日本に、ルンバ・カタラーナを知っている人はいるかい?」
僕は、「フラメンコは日本にもあるけれど、ルンバ・カタラーナは、あまり知られていないよ。」
「君は日本人なのに積極的だね?」
僕は、「(合っていない手拍子)でも叩かないより、叩いた方がいいし、それは心の問題だと思う。」
「ははは、君は日本人じゃないよ。」

こんな、啖呵を切ってしまったのです。実際、一緒に演奏できなかったことは、すごくショックだったし、本当に良い意味で、悔しかった。
そして、次は必ず彼らのルンバを覚えて、一緒に演奏したい、と、そう思いました。
だから僕は、ルンバ・カタラーナが好きなのです。そして、この曲(元気な死人)El muerto de vibo de japones を覚えることが、彼らへの恩返しだとも思っています。

僕は、日本では、お金を貰ってルンバを演奏することを、仕事にしています。それはそれで、これは僕のルンバだし、僕の魂です。しかし、プロは、本当は練習している姿を見せてはいけないのです。けれども、僕は違います。遠く離れたバルセロナのルンバを、思い出とYoutubeなどを先生にして、日本で毎日コツコツ勉強して実践することは、僕のルンバの生き方の証しであり、その成長をみなさんに動画で観てもらうことは、僕の日常会話です。僕は、会話術として、スペイン語を覚えるより、ルンバのリズムを選びました。その理由は、ルンバは僕だけのものではない、ルンバで、この喜びを一緒に共有できる友達を、常に募集しているからです。

そして、真意は、僕のライブは、お客さんも、僕と同じ演奏者であるということ、そして、日本でも、ブルースやジャズのように、ルンバを演奏したいと興味を持つ人が増えて、大衆化したら好いなと願っているということです。だから僕は、毎日どこかでルンバを演奏しますし、惜しみなく、動画をアップします。海外の人から観れば、「なんだこのルンバは?」というように思うだろう、ライブ動画もアップします。なぜなら、僕はルンバが好きだからです。そして、この夢(好き)の為に、僕はルンバを追及します。そして、このような僕の奇跡が、いつか未来の ルンバ・ハポネッサ(日本のルンバ)のお役に立てると信じていますので。

実際、ルンバは、日本の生活にある音楽のリズムとは、まったく違う、とっつきにくいジャンルの音楽です。でも、あきらめずに、夢を追い続け、それを振り返ると、いつかこれが日本のルンバになって定着していれば本望です。みなさんもご覧になっていると思いますが、フェイスブックの、スペイン語のコメントのやりとりも、本当に通じているかどうかわかりませんが、僕だけのものではないと思っています。これも、ライブと同じで、みんなのものです。ですので、これからも、一緒に夢を見てください。

長文、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。年末特集号みたいになりました。
そして、バルセロナへの渡航に協力していただいた方々へ、大きな感謝に代えて、この記事をおくります。

お世話になったルンバタルンバのみなさんと。
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Sushi de catalan. カタラン・寿司
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Peluquería de Dave San.理容師のデイブさん
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posted by aki at 08:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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