2015年12月29日

すばらしい日

今年は、もうライブがないと思って、ちょー気楽に練習していると、今まで出来なかった弾き方とか、リズムの取り方とか、湯水のように湧いてきます。それを理解できたり出来なかったり、自分の中で正解が、点いたり消えたり明滅するのですが、今年いっぱいは、もうその正解の灯りを掴まえておく必要もありません。その感覚があまりにも楽しいので、実は今日、親にお食事ご一緒にと誘ってもらったのですが、断ってしまいまして、(親不孝者ですんません!)ずーっと1日中ギターを弾いていました。自分で言うのもなんですが、あなたも好きねー状態です。練習曲はとうぜん、日本とバルセロナを繋ぐ曲、元気な死人(しんちゃんの曲)なのですが、参考のために、いつものように色んなルンバの動画を観ても、気持ちに焦りがないので、なるほどー、なるほどー、うわーっすっげー!みたいな感動がいっぱいで、貸し切りの博物館で、ひとりで展示物と一緒にギターを弾いている状態です。

とりあえず今年のテーマは、慣れない!(NO!惰性)だったのですが、今日、この気楽さを味わって思うことは、どうも僕は慣れないでいることに慣れていたみたいです。愛読書の三木清の本に、「瞑想はつねに不意の客である。私はそれを招くのでなく、また招くこともできない。しかしそれの來るときにはあらゆるものにも拘らず來るのである。「これから瞑想しよう」などといふことはおよそ愚にも附かぬことだ。」というのがありまして、瞑想中に瞑想を実感できることなんてないということを言っているのですが、同じように、さぁ、慣れないようにしようとして、それを習慣にして実感しようとしたところで、既に慣れてしまってるわけで、夜空に浮かぶ月は歩いていると、あたりまえのように頭の上をついてきますが、実はそのあたりまえのような月も、一生に一度しかない月なのだ思えば、習慣的な歩行が、惰性に変わることもないということを忘れていました。

そういえば、最近は山に行ってませんでした。自然や、廻る四季も、すべて習慣なのですが、山に四季を感じるとき、その出会いはいつも偶然です。同じ格好の草木はありません。未来はドキュメントではなく、フィクションです。そして過ぎ去った過去にだって、いつでも訂正を加えることも可能でしょう。逃がした魚は、常にでデッカイままが好ましい、

「君、いつも同じ仕掛けやね?」
「海の中はいつも違いますよ。」
「それで釣れます?」
「いやー、釣れません。」
「それでいいの?」
「釣れたら、魚はあなたにあげます。」
「一緒に焼いて食べましょう。」
posted by aki at 05:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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