2015年08月12日

会話としてのリズム

大切なことと、乗り越えられない壁というのは、紙一重だと思う。僕はバルセロナから帰ってきてルンバのリズムの研究をしているけれど、その中でときおり、それっぽく模倣できることがあるけれど、それはいくら模倣ができたとしても、ある種の写し描きであり、リズムの奥底に観える風景はバルセロナではなく、僕が育った愛媛の山村であり、またその更に奥底には日本人という島国の「あるものがそれとして存在すること」を感じるのである。それをIdentityと呼ぶのかも知れないが、僕は日本人というより地球人という言葉が好きだ。

56年前かバイオリニストの二村英仁が大戦中ナチスに迫害され若くして亡くなった作曲家が残した楽曲を演奏をしていた。二村英仁はその曲を演奏するにあたり、楽譜をなぞるだけでなく今に残る大戦の爪痕を触れて見て接してまわるのだけど、そしてその演奏は素晴らしかったですが、聴いている僕には対戦中の海外の悲劇よりも、日本の善き風景が心にぽっかり月のように浮かんだ。

二村英仁がそれを感じているか否は別にして、なぜ出来ないかのではなくて、どうしてこのようになったのか?この問題の壁を前にその土地の音楽の歴史文化背景を知ることは、音楽に携わる者にとってとても重要なことだと思う。それは一言であらわすとリズムが会話であるからである。そしてリズムは言葉のように嘘を吐かないのである。日本で海外の音楽を突き詰め、三味線をギターに持ち替えると、このようになりましたというのが、実は本当のJAPORUMBAなのだろう。なにしろ突き詰めることが大切で、それはリスペクトすることと同じ意味を持っている。

僕は日本の風土が好きである。しかし時代の流れと伴にその風景は情景に移り変わり、僕の故郷は心の中にしまわれる。それは生死と同じ個人的な感傷であったり、石杖になったりする。

カレーを食べようか?インドカレー?イギリスのカレー?美味しければ僕はどちらでもいい。

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posted by aki at 14:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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