2015年03月29日

疲れがきたらハイアミノ!

2日間のライブでした。ありがとうございました。Gracias!!Yo estaba música directa dos días.

おかげさまで、無事に終わったので、もうお漏らししてもいいと思いますが、今回は少しだけ体調が芳しくなかったので、ハイアミノ30mlを飲んで、元気いっぱい頑張らせて貰いました。

これね、ものすごく効くのですよ、でも効果が切れた後の落ち方が、半端なくドスーンときます・・。でも、本当に乗り越えられてよかったです。やっぱり一番は、何よりもみなさんのおかげ様々の力です。本当にありがとうございます。

ハイアミノは薬局に売ってますが、服用される場合は、あとの疲れのことを、ちょっと自覚しておいて、頭で予定なりを算段しておいてから、飲まれた方がよいと思います。これを飲んで、当日に頑張れば、頑張っただけ、次の日は大変なことになります(笑)

そしていきなり、話はルンバになりますが・・、

今日の昼間は、キューバ・ルンバ専用のメトロノームを使って、ルンバの練習していました。ルンバでも「ジプシー・ルンバ」「ルンバ・カタラーナ」「ルンバ・フラメンカ」「キューバ・ルンバ」その他様々なルンバがございまして、僕は、同じルンバはルンバでも、少しづつリズムの違いをニュアンス的に感じています。

僕は、南フランスの「ジプシー・ルンバ」をずっとやっているわけなんですけど、その「ジプシー・ルンバ」の土台になってるのは、きっと、「ルンバ・カタラーナ」であって、その「ルンバ・カタラーナ」も、「キューバ・ルンバ」が土台になってるのだと思います。

僕自身の将来的に、このような形のルンバが作りたい!という気持ちは、あるというか?ないというか?今は、そのプロセスとして、それよりも事前に、体にルンバの基礎の基礎のリズムを染み込ませておきたいという気持ちがありまして、キューバルンバの3-2のリズムで練習していたわけです。当分は続けます。僕のルンバ、放っておいても、続けている限りその答えは自ずとやってくると思います。

ちなみに、今回の記事のタイトルの「疲れがきたらハイアミノ!」これは、じゃりんこチエに出てくる地獄組の大阪かぶの会で使われていた合言葉「ポリ公がきたらハイセンベェ!」からインスパイアされました。
これもきっと「ハイアミノ」効果なんですけどね(笑)

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posted by aki at 09:23| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月20日

La elaboración de siempre. 永遠の推敲

Mi gata se llama negra.
mi gata era de color de la oscuridad.
Yo no veia a mi gata.
porque la noche era de color negro.
Los ojos de la noche son pequenas estrellas.
Siempre, siempre ella esta viendo mi corazon

Mi gata gata negro. Mi gata gata blanco. Mi corazon.

Mi gata se llama negra.
mi gata era de color de la oscuridad
mi gata se morira manana.
La noche robo su color.
Mi gata negra se volvio blanca.
Siempre, siempre ella esta viendo mi corazon.

Mi gato gato negro. Mi gata gata blanco. Mi corazon.

改善の余地あり、人間と一緒です。死ぬまで推敲です。
以下、日本語訳です。


僕の猫の名前は黒。
僕の猫は暗闇の色。
僕は猫を見ていない。
夜は黒色だったから。
夜の目は小さな星。
いつも彼女は僕の心を見ている。

私の猫黒猫。僕の猫白猫。私の心。

僕の猫の名前は黒。
僕の猫は暗闇の色。
僕の猫は明日死んでしまう。
夜は彼女の色を盗んだ。
僕の黒猫が白になって。
いつも彼女は私の心を見ている。

私の猫黒猫。僕の猫白猫。私の心。

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posted by aki at 14:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月19日

黒猫が死んだ詩の行方

昨日に完成した黒猫の詩なのですが、スペイン語的にどうなのか?自信がなかったので、Yahooの知恵袋で質問して確かめました。親切な人が居られるもので、「*ほのぼのとした面白い詩だと思います。スペイン語でも歌えるようにがんばってください。闇夜から黒猫と一緒に見守っている!!以下は原文と少々手を加えたものです。」と回答を貰いました。それなりに涙でました。

私の猫はNegraだった
夜は黒色だった
私は私の猫を見ていない
私の猫は暗闇の色だった
夜の目は小さな星である
常に、いつも彼女は私の心を見ている

私の猫はNegraだった
私の猫は暗闇の色だった
私の猫は明日死ぬ
夜は彼女の色を盗んだ
私の黒猫が白くなった
常に、いつも彼女は私の心を見ている


Mi gata era la negra.
(Mi gata era negra)

Ya que la noche será color con negro,
(ya que la noche era de color negro)

Yo era no veia mi gata.
(Yo no veía a mi gata)

mi gata fue color para oscuridad.
(mi gata era de color de la oscuridad)

La noche es ojos es poco estrellas.
(Los ojos de la noche son pequeñas estrellas)

Siempre siempre ella Ve mi corazón.
(Siempre, siempre ella está viendo mi corazón)

Mi gata era la negra.
(Mi gata era negra)

Mi gata era color para oscuridad.
(mi gata era de color de la oscuridad)

mi gata será morira será mañana.
(mi gata se morirá mañana)

La noche será robaba color.
(La noche robó su color)

Mi gata será color para es blanco.
(Mi gata negra se volvió blanca)

Siempre siempre ella Ve mi corazón.
(Siempre, siempre ella está viendo mi corazón)


さっそく直してもらった詩を参考に、スペイン語の勉強をするべきか、それとも曲を付けるべきか、どちらを先にしようか、悩む必要ありません。「スペイン語でも歌えるようにがんばってください。」と言ってくれた回答者さんの気持ちに先に応えるべきです。

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posted by aki at 15:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月16日

後ろに答えはないのです

僕は、付き合いの長い友人(日本人)からでさえも、僕の(言葉)言ってることは難しい、「松本さんの言うてはること解らへん!」と、決して賢いという意味ではなく、よく言われます。そんな人間が、外国の言葉を覚えようとしているわけで、今はその初期段階でありまして、フェイスブックのコメントなんて、日本の人もバルセロナの人も、本当にわけわかんないと思うのですよ。

そういうことを、考えていて、伝える為の進歩について悩みながら、「まぁ、3歩進んで2歩下がれば良いか。」なんて思いつつ、でも、いざ下がってみると、2歩下がるのときの悔しさというか、それでも見守ってもらってますから、孤独感というか、それが申し訳なくて、どうしようもなくてね。

しかも、今はもう教室で習ってませんから、自分の発言した言葉さえ、通じているかどうか解らないから、自分自身の発言に対して、予測できる答えがひとつもないのですよ。そういう点では、スペイン語を読めない人も、僕も同じ感覚なんだと思います。

僕はライブで、演じることをしないから、ライブのとき以外の自分は、僕自身じゃないというか、何者かよく解らないのですよ。だから、今まではライブで歌うことで、自分の人となりを解ってもらえて、楽しんでもらえる人には楽しんでもらえて、それでよかったのですが、今回はバルセロナに行って伝えたいことがありますからね、それは単に紙に書いて読み上げるだけじゃ駄目なんですよ。ライブと同じで、言葉にならない本当の気持ちを、その言葉に乗せないといけないのですよ。

だから、スペイン語を話せるようになろうなんて、実はあんまり欲してなくて、それは後から付いてくるものだと思ってますから、ただ、そちらの方向に向かって、突っ走るというか、歩くというか、続けるみたいなことの方に、重きを置いています。

体力がまだ残ってますんで、今日の復習しときます。
Yo vi flor.
花をみた。
Mi sentimientos florezco juntos con flor.
私の気持ちは花と共に一緒に咲いています。
Detrás es no esperanza.
希望は後ろにはない。
Hay camino a antes.
前に道(方法)がある。

viは見た。ver(見る)が点過去形に(見ました)と変化した使い方です。

Venia es la primavera.
春が来ている。
Veniaはvengo(来る)の線過去形で、(来ている)に変化しています。

Cocinaré por cenar.
夕食の為に料理したい。
Cocinaréはcocino(料理する)が未来系の(料理したい)に変化したものです。

Yo comí cenar.
Gracias para hoy.
夕食を食べました。今日をありがとう。
comíはcomer(食べる)が(食べた)点過去形に変化したものです。


とうぜんのことながら、全部、覚えられるわけないので、この中でもvi(私は見た)だけでも永遠に頭の中に残ればいいかなぁと思います。お付き合いありがとうございました。

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posted by aki at 23:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月13日

パルマと一緒に(La palma funtos)

たまには音楽ネタを枕話なしでお贈りします。

いつもお客に手拍子して〜と言ってるあの手拍子のことを、パルマ(palma)って言うのですよ。いつも人にやらせてばかりなんで、たまには人の気持ちもわかりなさいよ、ということで、自分の演奏にパルマを入れて録音してみました。

しかし、うちにはそんな良い録音機材はないので、昔よくやったラジカセ録音みたいなもんで多重録音してみました。昔、叔父がテレビの前で、ザ・ベストテンで聖子ちゃんが出てきたら、「静かに!」って言ってたの思い出しました。

勝手なもんで、人にやれやれと言っときながら、いざ自分でやってみたら難しかったです。いつも「リズムに合ってなくてもいいから、大きい音で叩いて!」なんて言ってるの、あれ保険ですか?って感じがいたします。でもルンバには、パルマがあった方が楽しいので、これからもドンドン叩いてください。

いつもライブのとき、ギターのボディを叩きながら弾いてるでしょ?あれことをゴルペ(Golpe)っていうのですけど、自分のゴルペに合わせて、自分でパルマを打ってみました。こんな感じになりました。音が悪すぎるので、ちょっと古めかしさ醸し出したような雰囲気で動画にしました。大切なのは雰囲気です。ふんいきふんいき。雰囲気のこと、アイレ(Aire)と言います。アイレが大事。



曲名は「Arroz con leche」お米(Arroz)のミルク(leche)煮という意味で、定番の食べ物らしいので、今度はそれを作ってまたブログにアップします。ちなみにたぶん日本でいう「かえるの歌」なみに、子供の歌だと思います。だって歌詞がかわいすぎ。よかったら覚えてください。

arroz con leche, アロス・コン・レーチェ、
me quiero casar 結婚したいな
con una señorita de San Nicolás サン・ニコラスのお嬢さんと
que sepa coser 裁縫ができて
que sepa bordar 刺繍ができて
que sepa abrir la puerta ドアを開けて
para ir a jugar. 遊びに行ってくれる子と。
Con ésta sí. これで「はい」。
con éste no, これで「いいえ」、
con esta señorita このお嬢さんと
me caso yo. 結婚しよう。
Cásate conmigo que yo te daré 結婚してくれたら
zapatos y medias color café. 茶色の靴と靴下をあげる。

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posted by aki at 05:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

目に見えないものを、僕は風から教えてもらうんだ

今日は、スーパーで、塩サンマと菜の花とサンド豆が安かったから、カタルーニャのパスタのパエリアを作った。なかなか、おいしかった。今日、それをFBに載せたら、バルセロナの人がコメントをくれている。

彼らとFBで出会った頃、「スペイン語を教えてください。」って言ったら、「ひとりで覚えろ。」て言われた。でもその言葉に悪気を感じなかった。だから、少しづつだけど、彼らとコメントで会話できるようになってきた。誰が、風のことを先生と呼ぶだろう?けれども、彼らは僕にとって、今ではその風である。

今日は、セルジオさんに、君はとてもスペイン語を勉強しているとプレッシャーをかけられた上で(笑)「君がバルセロナにきたとき、カタロニア語の挨拶と、カスティーリャ(スペイン)語の挨拶と、ふたつの挨拶をするだろう。」と言っていた。僕は、「僕がふたつの挨拶を覚えたとしても、心はひとつだよ。」と返してみた。

僕は風に媚びるような人間をしらない。そして、また風は媚びられることを望まない。

明日私は山に行く。
私は山の中でルンバに耳を傾けるだろう。
鳥の声。
風の鳥。
水は音楽です。
この世界、一つの世界。
どのように素晴らしい!

Mañana voy a la montaña.
Voy Escucho la rumba en la montaña.
Voz de aves.
Viento de aves.
El agua es musica.
Este mundo uno mundo.
Que bonito!

こんな感じかな。目に見えないものを、僕は風から教えてもらうんだ。
はやくバルセロナに行きたい!

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2015年03月10日

天Qさんありがとうございました。

韓国の甕(カメ)作り職人の「食卓」をテーマにした番組を観ていましたが、この甕を利用して作った料理が、最高に美味しそうです。とくに、この甕を作る亭主の嫁さんが、亭主の焼き上げた甕を使って作る水キムチは食べてみたい。

この甕が一番よく売れたのは朝鮮戦争のときだそうで、雪の降る中、その嫁さんが「フードプロセッサーを使うと、食材が沈殿するからよくない。」と、採れ立てのヌマエビを、擂鉢のようなもので潰しながらインタビューを受けていました。この擂鉢も、亭主が焼いたものだそうです。

そんな話を聞いていると、なるほど、時代が移り変わるスピードは、もう既に人間が対応できるスピードではなく、「味より速さだ!」「質より量だ!」と、社会に文句を溢しながら、昼食を牛丼で済ませてばかりいると、心が「もてなし」されることから見放されてしまうわけでございます。

わたしは、子供の頃、親が飲食店を経営していたので、店の掃除だけは毎日手伝っていました。あたりまえですけど、灰皿が汚い、便所が臭い、グラスがくもって臭い、テーブルがネバついてる、床が埃だらけなど、ぜったいにありえない話で、又、お客さんにも、いつも「ごゆっくりどうぞ。」と言わなければ、親に「お客さんのおかげでご飯が食べられるんやぞー!」と、本当に血まみれの半殺しにされました。

今から思えば、親に対して、なんとかバイオレンスやんけー!とも思うのですが、それでも、そういう気持ちは、「おもてなし」からすれば、間違いではなくて、わたしは、先日もライブの前に、天Qさんのお店の灰皿を洗い、テーブルを拭き、床にモップをかけ、持参したタオルで窓を磨きながら、自分の道はこれでいいのだ。と自分で自分に納得させてもらっていました。

韓国の甕(カメ)作り職人の食卓は、豪勢ではございませんが、ひとつひとつ料理に心が篭っており、「箸が止まらない!」と来客の一人がふと溢してしまった言葉は本物であり、僕もそういうミュージシャンを目指していこうと思います。

天Qさんで一緒に音楽を楽しんでいただけたお客さんには、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、自分が本当によいと思った道を選ばせていただいたわけでございまして、音楽をやめたわけではなく、またよろしくおねがいします。

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2015年03月08日

天ちゃんのこと好きやねん

「情けは人の為ならず」の本来の意味は、いつも人には親切にしたほうがよいという意味で、現在のその意味は「情けが仇」でございます。昨日もスーパーのレジで賢く並んでおりますと、きっと家に介護が必要な方が居られるのか、そのような買い物をされていて、大荷物なってしまっていたのですが、ものすごく手際よく、カートに入れて、駐車場のバイクに、まるで積み木を積むように積んでおられました。

わたしはその様子を見て、あまりの手際の良さに驚いて、おもわず「手伝いましょうか?」と、「小さな親切大きなお世話」な、いらぬ世話を口走ってしまいましたが、そこも上手に笑顔でかわして頂けまして、わたしは、走り去るバイクを笑顔でお見送りすることができました。おかげさまで、なんと清清しい日なんだと思いながら、わたしもバイクに豆腐とビールをぶらさげて、家路についたわけでございます。

「情けが仇」といえば、携帯端末のタッチパネルでも使える手袋というのを100均で買ったのですが、これが画面を押しても、まったく何をしても反応しないわけでして、安物買いしたと後悔していたのですが、近頃、ちょうど人差し指の部分が破れて穴があきまして、めでたく使えるようになりまして、他人から見れば、なんとも無様な手袋ですが、わたしからすれば、見た目が悪くとも、非常に便利な手袋でございまして、わたしの穴あき手袋に情けは無用なのでございます。

好きな人のことでも、様をつけるか?つけないか、そこまでも上手に使い分けて、好きと言わなければ、他所様から不憫に思われたり、その「好き」その事態、そのものまでもが批判される時代でございまして、「天ちゃんのこと好きやねん!」なんて口走ってしまえば、右から左からパンチを受けて、ダウンしてしまい、そのときに聞こえるのが、カウントではなく、リベラルという念仏のような非常口です。

未だ言論に自由はなく、相変わらず歴史は戦中を繰り返しております。昔から、無邪気な人間でも、野球と政治の話は飲み屋でするなと言いますが、今のインターネットも、立ち飲み屋と同じ状態でございまして、ただ、人と人の間には、刑務所の面会所のようにガラスの隔てがあるので、お酌も乾杯も握手もできません。

ただただ、言葉だけが空しく黄色信号のように点滅していまして、気持ちの方は徐行もせずに、飲酒運転や、スピード超過、シートベルトの締め忘れなど、違反といいねのカオス花盛りです。

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(お知らせ)天Qライブ終了について


今月、第一土曜日、7日をもちまして、天Qの「コモエスタヌキマンスリーライブ」は終了しました。今まで本当にありがとうございました。

http://comoestanuki.com/index.htm

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2015年03月06日

ベン・ジョンソンより速く!

ストレスと一緒に言葉も走る特急便です。今は、きっと未来に必要であろうスペイン語が、自然と頭によく入ります。それは「出会いがあれば別れがある。」フェイスブックではございませんが、「出会い」の質をお座なりに、安売りのバラ肉を買い漁る常に、無駄に多い方が良いと考えると、クレカが使えない店が多く、ポイントが貯まりません。

多かった?少なかった?そんなことはどうでもよく、わたしは、バルセロナで、友人との別れの際に、Somos para siempre amigos.(わたしたちは永遠に友達です。)と、この言葉だけは必ず言えるように、そういう生き方を、わたしは歩むべきでありまして、それは日本でも同じことでございましょう。

また、延長上には、再会についても想像するわけでして、距離が近ければ近いほど、又、互いを知れば知るほどに、その再会は味気なくなる恐れがありますので、常に再会を新鮮なものにするために、わたしは自分の道を通し、それから人との違いを尊重することに心がけるべきです。「手と手をつないだ手のひらが、二人の孤独を包んでいる・・」これは、わたしの数少ないオリジナルソングの歌詞の一部でございまして、これは、「手をつないだときに、その手のひらに体温の違いを感じるから互いを認識できる。」という暗喩です。

しかし、そんなことを言っていると「己さえよかったらええんかー?」「和がないやないかー?」「同じの方がええやないかー!」「差別してんのかボケー!」と、どやされそうですが、「和」という漢字は、穂先が茎にまで垂れ下がる象形であり、一本の稲穂が、隣の稲穂にもたれ掛かる意味ではなく、それぞれが、それぞれに、自分の実を数え知り、「禾へん」に「口」つまりそれを話し合うという意味でありまして、哲学的に言えば、利己主義でもどちらかといえば、「倫理的利己主義」に相当しまして、「功利主義」とは、また違ったものでございます。

しかし、わたしは、「米粒の数は多い方がええやないかー?」という「功利主義」者ですので、欲にかられて自分の器量以上に実をつけすぎ、稲穂が垂れ下がりすぎてしまい、自分や他人の足元だけしか見えず、自分で自分の首を絞めて苦しまなくてすむように、コマの持ち数より、ひとつのコマで何回転できるかを重視し「倫理的利己主義」に近い考えを、自分自身に推進しているわけでございます。

しかし、わたしはここで、どのような主義が正しいということを、問答しているのではなく、また、アランの幸福論よろしくに、雨の日には雨によい顔をしろと言っているわけでなく、傘も裏返せば、雨水を貯める道具になるではないか?と屁理屈を垂れているわけでございます。

出会いとは、傘をさすことなのか、別れはとは、傘をとじることなのか、傘で雨は凌げても、風は凌げないように、もしも天候が、自然の普遍的なコンプレックスならば、わたしは嵐の中でも、「Singin' In The Rain」でも唄って踊りながら、傘を杖の代わりにして、自分の道を歩きたいと思うわけでして、そんなわたしを楽しんでくれる人が居れば、雨はわたしたちの出会いの仲介役をするでしょう。

しかし、そのあと、風邪をひいて大熱を出して寝込んでしまうこととは、これはまた別の問題でございますので、やはり、そっと、折り畳みの傘と、風邪薬を、仕込んでおく心遣いは、再会を裕福にする為に有益なツールであり、ここまで長々とお話しましたが、実は強かな人間ほど、雨風も傘も風邪薬など必要とせずとも、出会いと別れを季節のように繰りかえしていけるわけでございます。


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posted by aki at 18:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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